日蓮宗について

鎌倉時代、お釈迦さまがなくなったあと、仏教が正しく理解されず、悪い教えがひろまって人々を苦しめる末法(まっぽう)という時代に入っていました。
生きることと死ぬことの意味、地震(天災)や戦(人災)で人々が苦しむわけを知るため、日蓮聖人は仏教の経典をすべて読みました。
そして、お釈迦さまが悟った真理は、法華経(ほけきょう・妙法蓮華経)に書かれている、と知りました。
法華経には、お釈迦さまは遠い昔から未来まで生き、永遠にあらゆるものを救いつづける、とくに末法の人々を救う、と書かれています。
日蓮聖人は、末法悪世の人々を救う良薬である法華経(妙法蓮華経・みょうほうれんげきょう)をひろめる役目が自分にあると自覚し、法華経を心に受け入れ、口に唱え(南無妙法蓮華経)、実行する、と誓いました。
『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』で人と社会の幸せを鎌倉幕府に訴えたあと、法華経の行者(ほけきょうのぎょうじゃ)として生き通しました。
弘安五年(1282年)、数え年六十一歳で亡くなった日蓮聖人は、末法唱導師(まっぽうしょうどうし)と呼ばれ、お祖師(そし)さまと慕われて、いまでも人々を法華経の信仰に導いておられ、その流れを正しく汲んでいるのが、日蓮宗です。

日什上人は、正和三年(1314年)四月二十八日、奥州黒河郡(会津若松)滝沢(現・妙国寺)に生まれ、十五歳で父母を失い、十九歳の時に比叡山に登って慈遍僧正(吉田兼好の兄)の弟子となり、玄妙と号されました。
三十八歳で学頭に選ばれて玄妙能化と称され、五十八歳でご生国の会津に帰郷し、羽黒山東光寺に住して多くの弟子を教養なされました。
天授五年(1379年)、六十六歳のとき日蓮聖人の『開目抄』『如説修行鈔』を読み、名を日什と改め、翌年三月、下総の真間の弘法寺にて改宗。
六十八歳で京都に上って洛中弘法の綸旨を賜り、二位僧都に任ぜられた。
翌弘和二年(1382年)、鎌倉の埋橋に本興寺を創立、さらに京都に転じて布教される。
元中二年(1385年)、遠州府中(磐田市見付)に本立山玄妙寺を造り、十一月八日、本興寺に本門の戒壇を建立、また、品川本光寺を建てられる。
七十五歳の八月二十一日に『諷誦章』を作って弟子・日妙上人の一周忌を修し、絵曼荼羅を図せられる。
その翌年、元中六年(1389年)、京都妙満寺を創設、また妙松寺を建て、七十八歳で京都を発し、十月九日に会津に帰郷。
翌元中九年(1392年)二月二十八日、会津妙国寺でご入寂された。
世寿七十九歳、法臘まさに六十一年。 弟子には日仁・日義・日金・日全・日運・日実・日穆・日妙などの諸哲がおられた。